「二楽亭へようこそ」その7 [小説]
第3章 その1
『――当機はまもなく小笠原上空にさしかかります。
成田への到着時刻は――』
そのアナウンスの最中に、
突然、乗客のひとりが苦しみ始め、
CAや、たまたま乗り合わせた
医師による手当もむなしく絶命した。
医師による所見は心臓発作。
成田到着後、
空港検疫所で警視庁係官立ち会いのもとで検視を受け、
翌日、東京都監察医務院で行政解剖が行われた。
遺体と遺品は、
名乗り出てきた遺族に引き取られることになっている。
死亡した男はロシア人で、
名はレフチェンコ・スミルノフ。
遺品には、通常の着替えなどのほか、
古びた釘が1本、
クッションのしかれた箱に大切に保管されていた。
不思議に思った係官が、
受け取りに来た遺族のロシア人であろう人物に、
「立ち入ったことでなんですが、
その古い釘はなんですか?」
と訪ねたところ、
「<聖釘(せいてい)>…、
ああ、いや、思い出の釘なのですよ」
といらえがあった――。
日のあるうちは風情がある鎌倉の裏路地も
夜になると物寂しい。
特に山のきわとか、谷戸のあたりとか、
人通りの少ない場所だとちょっと不気味だ。
山の斜面にある”やぐら”など、
鎌倉時代の横穴式のお墓も点在していて、
なにか怪異に出くわしそうな雰囲気の場所も結構ある。
実際、馴れてない人や子供だと、
あやかしに行き会ったり、
狢、狸たちに化かされたりすることもある。
驚いて怪我したりという話も
ときおり聞こえてくる。
それに加えて、
最近は『鬼』まで出るようになっていた--。
私のウチに続く路は、
途中からは車も通れないような細い路地になる。
そこを、同級生の三狼と歩いている。
いつもは寮暮らしなんだけど、
ちょっと取ってきたいモノがあって
家に帰ることにしたら、
護衛代わりに連れていけと、
三狼を付けられた。
もともと家が隣同士なので、
寮に入る前は学校の行き帰りは
ふたりいっしょなことが多かったのを
なんとなく懐かしく思い出す。
子供の頃ふたりで、
夕方暗くなった路地を、
ぽつんぽつんとある街灯の明かりをたどるようにして
急いで帰ったなぁ…。
私の家は、
北鎌倉から小袋谷を通り
山崎の奥、鎌倉中央公園の先にある。
高校生になった今でも、
夜になると人通りがほとんど無くなるこの道は
かなり寂しい感じがする。
(お腹空いた~、早く帰っておかあさんのご飯食べたい~)
そんな私のささやかな希望を邪魔するように、
<びちゃ…ぐちゃ……>
という、何とも言えない下品な感じのする音が、
横手の私道の奥、
玄関灯も点けずに闇がわだかまっている場所から
かすかに聞こえてくる。
普通の人なら気がつかない程度の音だけど、
これ、たぶん『鬼』たちの咀嚼(そしゃく)音……。
何を食べてるか知らないけど、
いつ聞いても、あいつらの品のない食べ方は
耳障りなのですぐ分かる。
理性も品性も感じられないんだもん――。
音のするほうをうかがうために、
カバンから鏡を取り出す。
それを塀の角から少しだけ覗かせて、様子を探る。
(イラスト ムシ長者さん)
あー、やっぱいた…。
第3章 その2につづく
『――当機はまもなく小笠原上空にさしかかります。
成田への到着時刻は――』
そのアナウンスの最中に、
突然、乗客のひとりが苦しみ始め、
CAや、たまたま乗り合わせた
医師による手当もむなしく絶命した。
医師による所見は心臓発作。
成田到着後、
空港検疫所で警視庁係官立ち会いのもとで検視を受け、
翌日、東京都監察医務院で行政解剖が行われた。
遺体と遺品は、
名乗り出てきた遺族に引き取られることになっている。
死亡した男はロシア人で、
名はレフチェンコ・スミルノフ。
遺品には、通常の着替えなどのほか、
古びた釘が1本、
クッションのしかれた箱に大切に保管されていた。
不思議に思った係官が、
受け取りに来た遺族のロシア人であろう人物に、
「立ち入ったことでなんですが、
その古い釘はなんですか?」
と訪ねたところ、
「<聖釘(せいてい)>…、
ああ、いや、思い出の釘なのですよ」
といらえがあった――。
日のあるうちは風情がある鎌倉の裏路地も
夜になると物寂しい。
特に山のきわとか、谷戸のあたりとか、
人通りの少ない場所だとちょっと不気味だ。
山の斜面にある”やぐら”など、
鎌倉時代の横穴式のお墓も点在していて、
なにか怪異に出くわしそうな雰囲気の場所も結構ある。
実際、馴れてない人や子供だと、
あやかしに行き会ったり、
狢、狸たちに化かされたりすることもある。
驚いて怪我したりという話も
ときおり聞こえてくる。
それに加えて、
最近は『鬼』まで出るようになっていた--。
私のウチに続く路は、
途中からは車も通れないような細い路地になる。
そこを、同級生の三狼と歩いている。
いつもは寮暮らしなんだけど、
ちょっと取ってきたいモノがあって
家に帰ることにしたら、
護衛代わりに連れていけと、
三狼を付けられた。
もともと家が隣同士なので、
寮に入る前は学校の行き帰りは
ふたりいっしょなことが多かったのを
なんとなく懐かしく思い出す。
子供の頃ふたりで、
夕方暗くなった路地を、
ぽつんぽつんとある街灯の明かりをたどるようにして
急いで帰ったなぁ…。
私の家は、
北鎌倉から小袋谷を通り
山崎の奥、鎌倉中央公園の先にある。
高校生になった今でも、
夜になると人通りがほとんど無くなるこの道は
かなり寂しい感じがする。
(お腹空いた~、早く帰っておかあさんのご飯食べたい~)
そんな私のささやかな希望を邪魔するように、
<びちゃ…ぐちゃ……>
という、何とも言えない下品な感じのする音が、
横手の私道の奥、
玄関灯も点けずに闇がわだかまっている場所から
かすかに聞こえてくる。
普通の人なら気がつかない程度の音だけど、
これ、たぶん『鬼』たちの咀嚼(そしゃく)音……。
何を食べてるか知らないけど、
いつ聞いても、あいつらの品のない食べ方は
耳障りなのですぐ分かる。
理性も品性も感じられないんだもん――。
音のするほうをうかがうために、
カバンから鏡を取り出す。
それを塀の角から少しだけ覗かせて、様子を探る。
(イラスト ムシ長者さん)
あー、やっぱいた…。
第3章 その2につづく